意識低い大学院生、森林を考える

某大学森林科学科の同期4人で運営する共同ブログです。森林・林業の魅力を発信し、最新の知見も紹介します。現在、大学院修士課程に在学中。

人類が土地を使い始めたその時に:森林から農地への転換に着目して

窓の外をふと見てみたときに、まっさきに見えるものは何だろうか。
私の研究室から外を見てみると、札幌の街並みや大学の建物が見える。
皆さんが見ている景色にも、必ずや人工物が映りこんでいるはずだ。

f:id:HU_forestry:20180515230900j:plain

Fig.1 大学から見える景色

人類は氷床に覆われていない、地球上の陸地の75%を利用し、改変してきた。今となっては、人類の手が加わっていない場所を探す方が難しいのだ。農地開拓により、食べ物に困ることは殆どなく、そして都市開発により豊かな生活を享受できている。

人類が豊かな生活を享受できるようになった一方で、土地利用により排他された生物もいただろう。人類が土地利用を開始したことにより、そこに住んでいた生物たちはどんな影響を受けたのだろうか...?

今回のブログではイギリスを例にこの答えを探ってみよう。

現在のイギリスでは、その国土のおよそ7割を農地が占める。しかし、農地に転換される前までは、森林や湿原が広がっていたことが知られている。考古学的な資料を記した文献 (Yalden & Albarella 2009; The History of British Birds)を解き明かしながら、森林が農地に転換された時代の、鳥類相の変遷をまとめてみよう。

時代は新石器時代にまで遡る。今から5,200年ほど前に、穀物と家畜化されたヤギやヒツジを伴って、農耕民族がイギリスに移入してきた。この頃からイギリス人は、家畜を飼養するための牧草地と、穀物を栽培するための土地を開拓するようになった。つまりイギリスでは、人類は5,200年ほど前から森林を切り開いて農地に転換、つまり土地利用を開始したのだ。

これまでに広がっていた森林を農地にしたのだから、森林性の鳥類ではなく開放地性の鳥類が優占するようになったことが予想される。しかしながら、この時代の遺跡から出土する鳥類相に着目してみると、森林性鳥類の優占が示唆されるのだ。例えばDowel Holeという場所では、ヨーロッパコマドリやシロビタイジョウビタキ(開放地性)ではなく、ヨーロッパシジュウカラ(森林性)が最も優占して出土した。ほかの地点でも、ヨーロッパカヤクグリ、シメ、ウソ、アオカワラヒワ、モリフクロウ、オオタカなど森林に生息するような鳥類が遺跡から出土している。

様々な地点の遺跡から、森林性鳥類が優占して出土していることを踏まえると、新石器時代のイギリス人たちは、景観を劇的に改変するほど集約的には農耕をしていなかったことが推察される。

しかしながら、青銅器時代(およそ4,000年前)に入ると鳥類相は大きく変化する。様々な遺跡から、チョウゲンボウ、ハト、ミヤマガラス、ムナグロ、ヨーロッパコマドリ、ツバメ、ショウドウツバメ、ヒバリなどの開放地性鳥類が優占して出土するようになるのだ。

青銅器時代以前の遺跡からは、ムナグロやタゲリは出土していなかったが、この時代からは多くの遺跡から出土するようになる。著者らは、この頃から、タゲリやムナグロがこの地域の開放環境で越冬するようになったのではないか、つまり、彼らの越冬に適した環境が形成されたのではないかと推測している。

f:id:HU_forestry:20180515231108j:plain

Fig 2. 農地を利用するムナグロ

青銅器時代に入ると、どうやらイギリス人たちはより積極的に森林を農地に転換し、そこに生息していた鳥類たちも、その影響を受けて変遷していったようだ。

まとめに移る。

イギリスの遺跡からは、農地開拓が進むにつれて森林性鳥類が姿を消し、開放地性鳥類が台頭するようになったことが示唆された。ただし、農耕開始直後はその影響はわずかだったようだ。農耕開始1,000年後くらいから、イギリスでは鳥類相を変化させるほどの影響を与えるようになったらしい。

次回以降は、湿原から農地への転換、そして日本の歴史とイギリスの歴史の比較を試みる。